中島裕翔基準、大きく前へならえ

Hey!Say!JUMPの中島裕翔のジャニヲタ備忘録。

◇ 舞台『WILD』で考えたこといろいろ


 
こんばんは。

舞台WILDから早1年たちますね。

記憶というのはどんどん薄れていくもので、とても寂しいです。舞台を観て感じたことを今覚えてる限り、書き残しておきたいと思います。

まずは、WILDについて振り返り。

◆WILDとは

2016年にイギリス・ロンドンで上演された、英国気鋭の劇作家マイク・バートレットによる社会派戯曲『WILD』

物語は、2013年にアメリカ合衆国政府の個人情報収集の手口を内部告発しロシアに亡命した、アメリカ国家安全保障局NSA)の元局員エドワード・スノーデンの事件に着想を得て書かれた。エドワード・スノーデンの事件が象徴する現代世界がさらされている倫理的・社会的脅威、テクノロジーがプライバシーの概念を侵食する社会に対して、バートレットは軽妙さの中で鋭い警鐘を鳴らしている。

WILDの色々(用語解説 etc.)↓
◇【ネタバレあり】中島裕翔主演舞台『WILD』のいろいろ。 - 中島裕翔基準、大きく前へならえ

◆あらすじ

主人公アンドリューは、モスクワの「特徴のないごくありふれた」ホテルの一室に身を潜めている。すると、アンドリューを助けに来たと言って、見知らぬ男と女が順番に訪ねてくる。1人目の訪問者の「女」は自らを「ミス・プリズム」と名乗り、アンドリューのガールフレンドのこと、両親のこと、すべての情報を握っている。そして2人目に訪ねて来た「男」は、その「女」のことは一切知らないという。自分こそがアンドリューを助けに来たのだ、と。しかし次第に、アンドリューはこの世界のすべてが不確かであることに気がついていく。確かだと思っていたこと、人、物、すべてが崩れていく。個人のアイデンティティから、「特徴のない」ホテルの一室まで……。

観劇するたびに自分の中で着眼点が変わったり、色んな意見を持ったので、ブロック分けして感想を書いていきます。


①自分の存在を証明するのは難しい


私が最初のほうにまず感じたのはこれ。

作中で突然目の前に現れた女が何者なのかを、あれやこれやと問うアンドリューに、女が「どうやって私が本当は何者かを証明しろっていうの!」と。

ずっと、相手が何者なのか、自分は何者なのか。というテーマが大きくのしかかっている感覚でした。

たしかに、目の前にいる人間が本当に自分の思っている通りの人間なのか。
すごく疑わしくなったし、インターネットが普及している世の中で、やりとりしている相手が本当に私がイメージしている人間なのかも疑わしい。

そう感じるようになりました。
極端な例で言うと、女子高生のアカウントだと思っていたその中身は、実はおじさんだった…なんて。一生、知る由もないのです。(バレなければ)

本気で調べれば、生い立ちからなにまで調べて何者かが分かるかもしれないけど、その調べた結果さえ本当なのかと疑われてしまったら?

人が作った物に、人の記憶に、なんの信憑性があるんだろう。また、自分の存在を疑われるという危機を微塵も感じず生きていられる今に、安心感も危機感も感じます。

政府レベルで、存在をでっちあげられてしまったら?
行動をすべて監視されていれば、他者からのアリバイを成立させないようにする方法などいくらでも考えられます。

考え出したら止まらないし、人間不信になりそうでした(笑)


②無意識のうちに様々なことを信じてしまっている。


当たり前のように信じている概念・観念とはなんなのか。

作品の後半、不可解な仕掛けがどんどん発動する。
それまで「ホテル」の形をしていたステージは、壁が倒れ、重たいはずの大きなベッドは軽々と壁に吸い込まれ、床は斜めに大きく、宙へ浮き上がる。転がるはずの丸いボール、滑り落ちるはずの家具、溢れるはずのウイスキー。全部がそうなることなく保たれている。

関係ないと思っていた男と女が実はグルだった、どちらも自分を助けようとしていた組織の人間ではなかった。

自由を手に入れたと思っていたアンドリューは結局、組織の管理下に置かれることになった。

にわかに信じ難いことの連続、物語の最後に、これまでの全てを覆してみせたWILD

それは、日常生活においてもいえる感覚というか、なにかの警鐘なのだと感じた。

例えば、自分の家の蛇口からでる透明の液体、それが本当に水なのか?と疑う人間はどれだけいるのか?

こういう身の回りの信じ切っているものを疑うことも必要なんじゃないかって思った。

もしくは日常生活なんかじゃなくてもっと大きな、私たちが誰も、微塵も疑っていないなにかを覆そうとしている人間がいるかもしれない。それは人間じゃないかもしれないし。

私達は、当たり前を信じすぎているのかもしれないです。
なにを信じ、なにを疑うかを見極める力こそが本当は必要なんじゃないかと。

これも考え出したらキリがない(笑)


③意外にみんな、気にしてない


これもそう、アンドリューは自分では大きなことをなしとげたと思っているが、女が言う通り誰もそんなことは気にしていないし、気にしたとしてもみんな時期に忘れてしまう。

実際に私は、この作品の元になっているスノーデン事件のことは一切知りませんでした。

国の外で戦争が起きていれば誰も気にしないし意識もしない。それも同様。

人はふと、周りからどう思われてるのか、他者からの評価をものすごく気にして病んだりするけれど。
自分が思っているほど、相手に影響を与えていないし時間が過ぎれば全て忘れていくんだと思った。

悪いこともそうだけど、良いことも。これはけっこう私の中では良い意味で心に響いた部分です。

他人からの評価を気にしすぎていた時期だったし、万人から嫌われたくない気持ちが強かったけど、気にしすぎなんだろうなと思えました。


④匿名性の脅威


匿名で悪口言う…とかはもちろん。

ネットでもなんでも匿名で投稿できる時代だけど、IPアドレスから特定…とか調べれば何者か分かるシステムにはなってるわけで、そう考えると匿名性はあるようでない。

けれども、①で自分が何者かを証明するのは難しいという話をした通り、匿名性はないようである。

どちらにせよIPアドレスから特定〜とかそういうのは警察が動いたりしないと調べられないわけで。

普通に生活している中では、特定できない匿名ってよくあることだと思いました。

もちろん、匿名で善意ある行動をする人もいます。

でも、例えば、ある日突然家に手作りご飯が届いたとします。(衛生面の心配を抜きにしたいのでクール便)

差出人は不明です。

あなたは食べますか?私は食べません。

それが例えば母からの贈り物で、送るから食べてね。と言われていたら、多分食べると思います。
それは、お母さんは脅威的な存在ではないことを信じているからです。

他に言うならば、炊き出しとかもそう。
初対面だとしても、実績のある団体からのご飯は食べれますよね。潔癖とかじゃなければ(笑)

でも、よくわからない団体からだと、躊躇いますよね。

匿名というのは、誰だか分からないのと同時にどういう目的があるのか不明だから。誰だか分からない人から善意を向けられたとしても、なんだか煮え切らない気持ちになるんです。だから良いことをする時は名前を出そう笑


ちなみに、①の自分を証明するのは難しいという話を逆手に取れば恐ろしいことが起こる。

政府レベルで権利を持っている人間が、悪いことを考えたら、その人間は自身の存在を、あえて証明しようとしないはず。

悪いことをしても、誰がやってるのか分からなくすることができる。

そういう匿名が一番の脅威だと思う。


ところで、裕翔くんの楽屋をノックしたのが、劇を観に来てくれた高木くんだったという話がありました。
素性の知れない女がホテルのドアをノックして登場する…という物語とリンクしていて、より匿名性の怖さと、相手の素性が分かる安心さを感じました。

ドアをノックして、開けた先にいる人が、誰だか分かるというのはものすごい幸せなんだなぁ〜と。



⑤見方次第で事実は変わる


さぁ〜、結局はコレよ!!!

女の最後の方のセリフで、この言葉があります。

今までたくさん感想を述べて、疑うだとか脅威だとかなんだの怖くなるようなこともたくさん言ったけど、どれも良いようにも悪いようにも捉えることができる。

事実が有益なのか無益なのかも、考え方や見方次第で変えることができる。

今までの感想は全部、私が率直に感じたことだけど、同じ舞台を観劇しても、真逆の捉え方や違う方向からの捉え方をする人もきっといて、私が気付かなかったようなことに気付く人もいる。

なんの、どこを見て、どんな風に感じるか、人それぞれで自分が感じていることがすべてだとは限らない。

ポジティブな見方をするのも大切だし、時にはネガティブに考える必要もあるし、他者から別の意見を言われた時に納得できなくても受け入れる努力することが必要だし、自分だけでは見方が変えられない時、他者の意見を聞くことで見方を変えてもらうこともできる。

起こった出来事は同じでも、捉え方で事実は変わる!
常に忘れないようにしたい言葉です。

番外編

どうでも良いことも書きます。


・舞台はお腹との戦い

これは本当に…ご飯食べる時間がなく劇場に向かったときは絶望でした。お腹が鳴ります。

とにかく音を立てない努力が必要でした。
まさかこんな所で苦労するとは…なポイントだった。
未来の私の為に書き残しておきます。

「観劇前はちゃんとお腹を満たしておくべし!」


・裕翔担(?)はトイレがめっちゃ早い

これはただの同担は凄いぞ〜!って自慢なんですけど、裕翔担はメッチャトイレ早いです。
トイレに行列が出来ててゲンナリしつつ並ぶじゃないですか、でもすんごいグングン進む。個室の数があるとはいえ、回転が速い。洗面台で手洗うのも速い。

開演まで時間がある時とか終演後も何度も並んだけど、いつでも早かった。

トイレに並んでたのが全員裕翔担だとは限らないけど、同担のそういうとこ好きだなって思いました。


まとめ

自分の中でいろんなことが覆された作品でした、世の中に色んな意味で警鐘を鳴らしている作品だと思います。

ぜひ、平和ボケしている幸せな人たちに見てほしい。

具体的にどうしたらいいかなんて分からないけど、情報が溢れかえっているこの時代だし、頭の片隅に置いておくだけでも、有事の際に自分の身を守る行動が取れるかもしれません。

疑心暗鬼にもなりそうだけど、良い気付きもありました。本当に大好きな作品です。

というのも、スルスルと次のセリフが自らの言葉かのように出てくる裕翔くんのおかげで、スッと物語に入ることができて、こうして様々なことに気付くことができました。

初舞台とは思えないくらい、アクシデントも楽しんでいる様子で、見ていてとても気持ちが良かったことを覚えています。

本当に、他人の人生を、透明人間になって観ているような気分でした。

役になりきる、その人の人生を歩むという経験で、裕翔くんのアドリブ力も鍛えられたのかな?と思うと、今のお芝居にそれが活きていることを視聴者として実感しているし、今後にも期待したいなと思いました。

ファンとしても好きな人の、人生においてすごく大きな経験の1つを、リアルタイムで、この目で見ることができた、この上ない幸せな時間でした。

好きな人から「あの時の経験があったから…」という類いの言葉を聞くたびに、その幸せは大きくなっていきます。

新型コロナウイルスの影響で、中止になってしまった舞台も多くあるけど、いち早く収束して上演できることを願っています。

ここまでご覧頂いた方、ありがとうございます。
自粛ばかりで滅入ることもあるかと思いますが、どうかご自愛ください。